自分の宗教(組織など)に疑問を感じている方、脱会後に喜びなど見出せない方へ

「何かが違う、、、。」
「このままでいいのだろうか?」
「今は、本当に何もなくても幸せ?」
「罪は、いつ許されるの?」
「これが、本来の自分だっただろうか?」
「いつかは、、、。でも、それは”いつ”なの?」


そんな事を「ふっと」感じたことはありませんか?
そんな時は、ちょっとだけ立ち止まってみましょう。


人生、いろいろな”体験”がありますが、”被害者”でいるのも、”加害者”でいるのも、すべて自分次第で変化します。"被害者"にも"加害者"にも、ならなくても良いんです。

物事には、良いも悪いもありません。ただ”体験”があり、そこに”気づき”があります。
気づいた時に、自分の体験をどのように活かしていくかは、自分次第になります。
過去の体験を受けきれず、過去から抜け出せずに「今」を生きることが難しい人もいます。また、過去の体験を学びや克服の一つとして成長する人もいます。
もし、迷いや、過去の残影から抜けだせず、辛い日々を送っていらっしゃるのなら、勇気を出して、新たな一歩を踏み出してみませんか?


下記の文章は、脱会の時にお世話になったカウンセラーさんの著書へコメントとして載せて頂いた時の文章です。
※【証言2:脱会から回復・自立まで】P314-324(下記に【書籍情報】あります)

現在、何らかの形(宗教や組織)などで悩み、迷い、喪失感から立ち直れないという方に何かを感じて頂ければと思います。

多くの宗教(組織など)が存在しますが、そこには【恐怖】の植え付けなど、マインドコントロールが存在している事が多いように感じます。

本来、【神】あるいは【大いなる存在】という意識(光)が存在するところには、【恐怖】や【欠乏感】【貧困】【罪】などは存在しません。
そこ(高次の世界)には、【喜び】【安らぎ】【豊かさ】【許し】【慈悲】などが存在する所です。
そして、【許し】というのは、自分の中に存在しています。それが理解できる時がくるでしょう。


また、宗教(組織)の中に入るというのは、スピリチュアルな観点からすると、【過去世】の繋がりが強いのです。
例えば、過去世に”巫女”だったときの繋がりだった。など。
そういう意味からすると、もう【過去世】の繋がりは必要なのでしょうか?
今まで、こんなことを考えてみたことがありますか?



以下は、本からの転載です。(書いたのは2009年頃)

【宗教】脱会から回復-自立まで

私が脱会したのは2000年秋でしたから、約9年と言う月日が流れました。


現在、夫とは離婚し、自立した娘が二人います。私は、一般社会人として東京で一人暮らしをして平安な気持ちで過ごしています。

振り返ると、脱会後には、まだ様々な問題が残っていました。


統一教会の真実の姿、教義についての矛盾、マインドコントロールなどについては、疑心暗鬼にカウンセリングを受け始めましたが、幸いにも保護の時に集中して様々な観点から話を伺い、詳細にわたり調べつくされていたので、早い時点で教えられてきた内容が崩れていきました。教義を抜け出すことは、私の場合はそんなに困難ではありませんでした。


確かに、それはとても辛い時期だったと思います。それは喪失感と共に、夫にはとても反対された中で信仰を続け、家族にとっても良かれと思っていた事が違っていたという事実を認めることはとても悲しいことでした。しかし気付いた時点で、家族に認め謝罪してケジメを付けられたという点では、私の再出発には良かったと思っています。

助けて頂いた方々の助言・カウンセリング・力づけのおかげで、一歩一歩でしたが自分自身を整理することが出来ました。


項目を分けてみました。


【離婚・それぞれの自立について】

統一教会では離婚は罪でした。

私は、信仰をもっている時に、一度だけ子供を連れ、家出をした事があります。真剣に離婚を考えました。本来であれば私が頭を下げるべき事ではなかったと思いますが、その時の婦人部長に相談し、信仰ゆえに、自分の気持ちを押し殺して頭を下げて家に戻りました。信仰がなければ私はこの時に離婚をしていた事でしょう。

後に、夫婦関係も信仰をめぐってギクシャクしていましたが、本来この問題は、宗教以前からの問題だったという事もカウンセリング中にわかってきました。それを更に宗教を通じて表面化していたに過ぎなかったということが分かり、出来る限りの努力はしましたが、離婚する決心をしました。子供たちは私が引き取り、夫も長年に渡り家族の宗教からくるストレスと、子供たちと別に生活するという現実を受け入れるには時間がかかったかも知れません。

子供たちも思春期だったことから心に痛手を負ったのは間違いありませんが、両親の夫婦関係や様々なことに理解を示してくれるようになったのは大人に近づいてからでした。多くを語らなくても子供は、子供の目線で理解していくようになるのだという事を知りました。

今では、離婚という出来事は、決してマイナスではなかったと私は思っています。

あくまでも自分の責任においてですけど、多くのプラス面をもたらせてくれました。

それは、私の一方的な感じ方ではなく、子供たちから、そして元夫の様子では、今では休日には、趣味などの仲間と過ごし、楽しそうな姿を子供たちから聞くときにそう実感します。

家族の信頼関係が持てない中で、個々がそれぞれに犠牲者を装うのは、自然な状態とは決して今では思えません。一概には言えないことですが、離れて始めて客観的な視点を持って、また新たな関係を造っていくことも出来るのだと思っています。

そして、子供たちは、「うちは離婚していても、それぞれに楽しく過ごせているから安心だ」といいました。

「離婚は罪である。」という根拠はどこにあるのでしょうか?

よくよく考えていくと、色々なことが見えてきました。


そして昨年一月に子供たちと、半ば強制的な部分もありましたが、それぞれに独立しました。子供たちとは、ある時期が来たら手放そうと決めていました。それはそれぞれの成長には必要なことだと感じていたので、上の子が社会人になったときに時期的なことは、決めていませんでしたが話はしてありました。数年前に父が亡くなり年老いた母を一人残し上京するのは、申し訳ない気持ちがありましたけど、現在それぞれに一段と強くなり更にお互いに思いやりを持てる関係に成長した事は想像以上の結果をもたらせてくれました。

それを感じたときに「家族って何だろう?」って考えます。


時間はかかりましたが、他者に対し、自分も含め「許すこと」と「解放すること」を実践して多くの事を得られたと思います。


【身体の変化】

脱会時は、怖い夢を何日も続けて見ることがありました。

これは、後に何かの本で「浄化」と言う意味がありました。多くのストレス状態があった時などには、身体で教えてくれたり、どんな形(症状)であれ解放するものなのだと後から知って安心しました。今から思うと母・嫁・妻・宗教活動・仕事・借金のストレスなど、あまりにも身体や精神に負担をかけ過ぎていました。当然だったかも知れません。

離婚後は、軽度のPTSDと診断され(その数年前から兆候は出ていたが病院では原因はわからなかった)仕事もドクターストップがかかっていました。その間は、フラッシュバック・パニック障害のような発作がちょっとした場面で起こりました。段々に焦りを覚えていました。「働かなくては・・・」という気持ちと裏腹に身体は睡眠障害(私の場合は異常な眠気)・呼吸困難・めまい・こわばり・だるさ・首の重苦しい痛みなど、緊張したり、人が怒っていたり、怒鳴っている姿を見るのも発作の原因になりました。

 最初のうちは、無理をして仕事に行っていましたが、病院へ行って診断が出てからは指示に従うようにしました。


仕事を辞めたことで負担は減りますが、経済的な新たな不安が襲ってきます。私の場合は、実家、兄の援助があったので大変助かりましたが、それでも「家族に負担を掛けている」という自責の思いもまた続きました。この時期は「これは今後の為の与えられた休暇なんだ。」と心がけるようにしました。

そのように数ヶ月過ごして、休暇と思い始めたある日、ある雑誌で「やってみたい事」に出会いました。

すぐに調べ、市役所などを通し資格を取るための援助、支援金など利息なしで借りる事が出来、リラクゼーション、健康に関わる資格を取るコースに申し込むことが出来ました。そのスクールでの学びが、自分にとっても回復を早めてくれる結果になりました。

きっと、焦ったままでいたら雑誌などを見る余裕もなく反って見つけられなかったのではないかと思います。


【自分の内面を見る】

 今でも時々自分の内面を見ることを続けていますが、いろいろな発見が出来ます。

それは脱会カウンセリングを受けた時に教わったことや心療内科で受けた内容や交流分析の延長であるとも言えると思います。


自分自身に疑問を投げかけると、自分だと思っていたものは、実は本来の自分では無かったという気付きがあまりにも沢山ありました。それは両親からかも知れないし、友人かも知れないし、夫からかも知れません。私の場合は、独身のときからのコンプレックスから生じていた場合もありましたし、宗教から、さらに夫からのコントロールから来ていた場合も多くありました。

「私は、こうだ」「どうして怖いのだろう?」と思い込んでいるものに「どうして?」と投げかけると、「いつ?」「どこで?」「誰が?」に繋がってきました。そうすると、ある時点で「どうしてそう思ったのかな?」「何故、それが悪いことだと思ったのだろう?」「悪いことなのだろうか?」「誰が決めたことなの?」と自問自答を繰り返すようになりました。「その価値観は、私にとって必要なものなのだろうか?」「私は、正しいと思っているのだろうか?」

こうした自問自答は、脱会後に世の中が別世界に思え、これまでの夫婦関係を見直したことがきっかけとなり、私の場合は歩きながら、運転しながらなど気づいたら自分の内面を見るようになっていました。結婚前と結婚後の自分を比べて、「どうして自分は変わってきたのか?」をもっと知りたくなっていきました。

そして、「私のものではない(概念や行動など)」と思ったものに関しては、最初は、長年の思い癖で行動するときに恐怖を感じたり、うまくできないこともありましたが何度も繰り返すうちに、自然にふるまえるようになっていきました。忘れかけていた以前の自分、本来の自分で、行動できるまでチャレンジしてみました。

一つひとつゆっくりとでしたが、自分を思い出していきました。人間は、自覚できると変われるものだと思いました。他の人からの言葉やコントロールで自分が変化するのは、知らず知らずのうちに変わっている場合がほとんどのように思いますが、自分を自ら変えるのは、時に忍耐が必要となりました。

そして、驚いたのは、わたしは「受け取る」ことがとても苦手になっていたことです。人間、大人になると褒められる機会は少ないかも知れませんが、たまに人から褒められたりすると、照れもありますが、素直に「ありがとう」と言う前に、自分が話をすり替えていることに気付いたのです。「おまえは、ダメだ」と言われることが多い場合や、自分に自信が持てない人に多いことかもしれません。「褒め言葉」だけではなく、人には何かしてあげたいのだけど、自分が何かしていただく立場のときは「申しわけない」とか「遠慮」などがあって、人から受け取ることがとても苦手であることにも気づきました。

よく考えてみると、人に何か親切をしたときは、自分は気分が良いものです。その逆を考えると、状況によっては自分が受け取ることによってうな相手の人にそうした機会を提供するということに気づきました。それで、「これは何か違うのではないか」と思い、その後は「受け取る」練習を行いました。まさしく「心のリハビリ」でした。


【いろいろな情報を知る】

殆どの宗教が「この教えだけが正しい」「自分はメシアだ」「離れると地獄・サタン側」「悪いことが起こる」と伝えます。

脱会してから、何故それを信じてしまったのか?ましてや宗教を嫌い、宗教戦争に疑問を感じていた自分がいたにも関わらず、、、。


それが、マインドコントロールの恐ろしさなのだと知りました。

マインドコントロールの恐ろしさは、宗教だけではありませんけど、あえて宗教、統一教会について考えてみると、たとえ教義の矛盾や歪曲された捉え方についてはカウンセリングで解消しても、宗教によくある「神秘体験」の話や、見えない世界については、個人の体験、志向、探究心など、宗教で始めて体験した人や、その以前から興味、疑問などを持っていた場合など、それはきわめて個人的なものなので、カウンセリングによって解消されるのは難しいように思えました。このような問題は、宗教という狭い枠からの見方だけでなく、広い見地からの判断も必要になると思います。統一協会では、国によって少し違うかもしれませんが、日本などは特に、「教会を離れると地獄に行く」「悪いことが起こる」などと「霊界」なるものを使って脅します。そして事実信じてしまった自分もいました。

偽りからくる恐れによって、どれだけコントロールがあるかがわかります。(宗教に限らずですが。)

それが真実で真理であるならばコントロールは必要ないですし、読む本を制限する必要もないわけです。それを「協会のものだけ読みなさい」と制限し、「条件」だといい、時間を極限まで奪い、何もできず、考えられないように仕向け、それをコントロールだということに気づかせないことは、後に知ったことですが、とても恐ろしいことでした。


良く言えば、おかげでコントロールを見抜く目を養われました。


脱会後、わたしは協会での神秘体験や霊界の話などをどのように整理していけばよいのだろう?と思っていました。忘れることもできず、「ただ起こったこと」ということだけでは済ますことが出来ない自分がいました。これは自分だけの探求になりました。

そして、脱会し落ち着いて考えてみると、「神秘体験」などは、「ある限られた宗教だけ」に起こるものではないことに気づきました。しかし中には、自分の宗教で起きた体験は、「神秘体験」=「この宗教は正しい」と確証として受け取ってしまう場合もあるかも知れません。思い込みは誰でもあることですが、「神秘体験」は全く宗教を信じていない人にも起こることがあり、実際に多くの人が経験していて本来「宗教」は関係ないものです。信仰を持っているときは、信仰を肯定したいという意識が働き、思い込みに繋がることも考えられます。

まだ統一協会の信者のころ、ある書店に気になっていた本がありました。しかし協会意外の本はサタン側であると教えられていた為に、買って読む勇気はありませんでした。

ある友人にいただいた情報誌に、その「気になっていた本」のことが紹介されていました。それが『神との対話』という本との出会いでした。


この本を読んだときに、多くの目に見えない世界の疑問が解放され、とても心が自由になりました。私は、スクールで仲良くなった友だちに隠さず宗教の話をしたことがありました。

するとその友人も以前はクリスチャンで、教えに疑問や心苦しさを感じ教会から去ったという経験がありました。お互いにすっかり打ち解けるようになり、彼女にも本を紹介し、彼女もまた多くの疑問を解放しました。

そんなことから更に多くの本も読むようになり、世界中には、様々な情報があって、宗教の枠はあまりにも狭く、時に教えは教会・人間の都合の良い解釈としか思えないと感じるようになりました。

しかし気をつけないと、本によっては「恐れ」をもたらすものや「コントロール・制限」をもたらすものもあります。でも敏感になっていた私には、少しでもそのようなものを感じると途中でも読めなくなるか、受け付けなくなっていました。

立ち直る段階では、セラピーや癒し関係、スピリチュアルなもの様々な情報が入ってくるようになっていましたが、本の情報で注意した点は、あくまでも自分を元気にするか、自由にするか、ワクワクするか、反対に恐れを感じないか、コントロールがないだろうか、もし何か心に引っかかり感じたときには、読むのをやめることでした。本は宗教や組織ではありませんが、そこから何らかの組織が後ろにある場合もないとは限りませんでした。


しかし多くの本は、心がワクワクしたり、愛も感じ、心が軽くなると感じることのできる出会いでした。たくさんの情報や知識を学べ、そして狭まった価値観を広くさせてくれるとても良い友となり、時には癒しにもなっていきました。

*  *  *

本に限ったことではありませんが、恐れてしまって何も行動しなければ、何も変わらないと言うことだけで、自分がどうしたいか、どちらが心地よく感じるかだと思います。それは本人の選択の自由であって、どちらが良いか悪いかということでも無いのですが。

あくまでも私のケースであって、環境、状況も違いますし、人それぞれかも知れません。

回復までの道のりは決して平坦だったとは言えません。家族にも多く心配を掛けました。壁にぶつかる事も沢山ありました。


脱会後は、時間がとても必要かも知れません。無理に行うことでもなければ、人に言われて行うことではないですが、自分がもし「変わりたい、立ち直りたい」と思えたときに、何か思いついたものでいいので勇気を持って行動してみてください。途中で休むことが必要なときもあるかも知れません。ですが、それが何かきっかけとして回復の兆しが見えてくるように自分の体験から思えるのです。


自分を責めたり、反対に誰かのせいにしていても、何も得るものはないのではないかと思います。

確かに、そのほうが楽なのかもしれません。責任放棄と同じようなものだと思っています。

私は、宗教でそれを学んできました。自分で考えることを止め、教えのままに過ごし責任も取らずに過ごせたのですから。

でも、「それを続けて何になるの?」と問いかけます。ただ被害者を装って怒りや悲しみの中で過ごしていくのでしょうか?目を背けつづけるのでしょうか?


私は、「自分を労わる」ということは、どう言うことなのか?を考えました。

簡単ではありませんが、自分や他者、もしくは出来事を許せたときに、実は、自分が一番楽になるという事を知っていきました。そして更に元気に過ごし本来の明るさと自信を少しずつ取り戻して今を楽しめるようになっていきました。


そして、今ではこの多くの体験(宗教の体験も含め)があるからこそ、「今の自分」があると思っています。どんな形であれ、自分で決めて選択した結果でした。


心から、多くの方の回復を祈りたいと思います。


※上記の内容の一部もしくは全文のコピー、転載、配布等は一切禁止していますのでご遠慮下さい。

---------------------------------------------------------

書籍が2010年3月に発売されました。
【証言2:脱会から回復・自立まで】P314-324

この本は、日本の統一協会の元信者、信者の家族に、疑問を持っていながらも恐怖心から脱会できない方などに読んで頂きたい一冊です。 この本では、統一協会の教義、それに対し信者はどのようにコントロール、恐怖心の植え付けがあったかが、元信者の証言によって、とても分かりやすく書かれています。 たぶん、私の知る限り、救出カウンセリングを行っているカウンセラーの方は、一番、元信者の心理を理解できる者であり、その家族に対しても適切にアドバイスできる人物だと思います。この本には、ただ単にコントロール、恐怖心のことや、統一協会対する批判というばかりではなく、元信者や家族のありのままの証言は、もっと深い人間というもの、そしてそこには深い愛というもにものがなければ決して成しえなかった奇跡を感じる一冊です。


【書籍情報】
いのちのことば社のオンラインインターネット通信販売
Gospel Shopインターネット店
「統一協会から愛する人を助けるために 人間は機械ではなく、心で生きている」

編:マインド・コントロール研究所


 
このページのトップへ